DrBulucaniloの日記

独身女臨床獣医の読書感想文

『私とは何か』-「個人」から「分人」へ- 

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

最近読んだ新書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』 平野啓一郎著です。

人と話しているとき、なんだかすごく違和感を感じることがあり、コミュニケーションをとりやすくなるヒントになればと思い購入しました。

この本の目的は人間の基本単位を「個人」から「分人」へ考えなおすことにあります。人間は「本当の自分」という唯一無二の自我と体を持ち、自分と同じく唯一無二の精神をもつ他社との関わりを持つことで社会を生きているという現在の人間の関わり方を問うものです。引用より、この本の結末を一言で表すとすると『対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。』。そしてその複数の顔を総合したものが本当の自分(≠唯一の自我)であり、それは多種多様な他者と関わりあうことで常に変化する、ということです。

この本の「分人」定義に従うならば、私が付き合っていた恋人と居心地が悪くなりはじめたのは、私の彼に対する分人が、「目上である先輩」から彼の許容できるものよりも早く、「甘えてくる恋人」になってしまったからだと思いました。彼の方はまだ準備ができていないのに、無理に一歩進んだ分人を押し付けてしまったからです。

修復できるかできないかは私と彼の今後の関係にかかっています。ひとまずはこの関係の捻じれに説明を自分なりにつけ納得することができました。最後に最も印象に残った文を引用します。

『私たちは、たとえどんな相手だろうと、その人との対人関係の中だけで、自分の全ての可能性を発揮することは出来ない。略、だからこそ、どこかに、「本当の自分」があるはずだと考えようとする。しかし、実のところ、小説に共感している私もまた、その作品世界との相互作用の中で生じたもう一つの分人に過ぎない。分人はすべて、「本当の自分」である。私たちは、しかし、そう考えることが出来ず、唯一無二の「本当の自分」という幻想に捕らわれてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。どこにも実体がないにも拘わらず、それを知り、それを探さなければならないと四六時中そそのかされている。それが「私」とは何か、というアイデンティティの問いである。』